「教養」とは? ~「教養」を深めてみようキャンペーン、開始~
こんにちは。僕はある文系大学生です。今は2年生です。
ある疑問が僕の中に湧き起こったので、今回ブログを始めてみることにしました。
「文系大学生は楽でいいよな」
こういった発言をよく理系大学生の友達から聞きます。
実際、実験やレポートなど、大学に拘束される時間は圧倒的に理系大学生のほうが長いです。
では、文系大学生は理系大学生が授業を受けている間、課題をやっている間、何をしていればいいのでしょうか。文系大学生のが大学に拘束される時間が短い意味はいったいどこにあるんだろう。
そんな時、僕が大学でとっていたキャリアについての授業で、あるコンサルティング会社を立ち上げた社長の方がこんなことを言っていました。
「一般教養は人生においてとても大事です。」
その方はとても立派な人だった(僕の主観ですが)ので特別僕の印象に残っているのですが、同時に一つの疑問が沸き起こりました。
「教養ってなんだ?」
よく人はバレエやクラシック音楽など、一般的に「文化的」と呼ばれているものへの知識がない時、
「僕/私 は教養がないからわからないや」
といいます。
この言葉を聞くと僕は毎回こう思ってしまいます。
教養って何だろう?何が教養なんだろう?
辞書によると教養とは、
精神文化一般に対する理解と知識をもち,人間的諸能力が全体的,調和的に発達している状態。教養の内容は,その所有者が存在する社会の文化によって異なる。またそのような状態に教え導くことをさすこともある。今日の大学では,人文科学,社会科学,自然科学を内包する一般教養と,それを基礎としてそのうえにそれぞれの専門領域における専門教養とを体得させることを目指している。また教職教養を身につけることを要求している。
(出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。
(出典 デジタル大辞泉)
うーん、よくわからない・・・
「人間的諸能力」が「全体的」に「発達している状態」って何なんでしょうか。
てか、「その所有者が存在する社会の文化によって異なる」んですね!
じゃあ、
「僕/私 は教養がないから・・・」って成立しなくないか?
だって、社会の文化ってのは個人のレベルにおいてすらそれぞれ違いそうだぞ!
・・・めんどくさいですね。そろそろ本題に入りましょうか。
僕は「教養」というものに興味があります。
「教養」と呼ばれているものは、どうして「教養」と呼ばれているのか。
本当に「教養」として扱われる価値があるものなのか。
そこで、今「文化的」「教養」とされているものにできるだけたくさん触れてみたいと思っています。
今ぱっと思いつくものだけでも、
いくらでもあります。
これらすべてに触れてみたい!なぜなら文系大学生だから! 暇だから!文系っぽいし!
(ちなみに、皆さんは「文化資本」という概念をご存知でしょうか。お金などの経済的豊かさでは測れない、心の豊かさのようなものです。若いうちのほうが、文化資本は形成されやすいそうです。それなら、若いうちに文化資本形成したほうがいいんじゃないかという、先ほどの挑戦的な考えとは正反対の打算的な考えもあります。)
というわけで、このブログは、
『いわゆる「教養」と呼ばれているものの本物を経験することで、「教養とは何なのか」という問いの答えに僕が近づいていくプロセスを記録していくためのもの』
です。
やっと結論が出ましたね。長々と失礼しました。
それでは初回はこの辺で失礼します。
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